| 1.山梨水晶の始まり | 7.水晶工業組合設立 |
| 2.初期の水晶製品 | 8.商業組合設立 |
| 3.業界初の組合誕生 | 9.戦争と振動子 |
| 4.「商い」の歴史 | 10.敗戦直後の業界 |
| 5.産地形成 | 11.戦後の組合編成 |
| 6.甲府水晶業組合の設立 | 12.水晶商工業協同組合の設立 |
1.山梨水晶の始まり↑ →
徳川時代までは、水晶の発掘は許されなかったので、世
の中へ出た水晶の量は極めて少なく、それだけに人々に
珍重されてきた。
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2.初期の水晶製品 ← ↑ →
最初は大玉づくりから始まった。金峰山麓から時々見
つかった原石で2寸玉、3寸玉という大玉を作った。その
作り方は、原石を金槌で角をたたき落とし、「コブカキ」
で高い角をかきとり、「ハリ」で細い角を更に削り落とし
て荒玉を作る。さて、桶の中に「トイ」を固定し、水と金
剛砂(奈良地方で産出)を交ぜたトイの溝の中で、荒玉を
前後に転がして摺り、そして磨いていった。
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3.業界初の組合誕生 ← ↑ →
明治政府の勧奨もあって、甲州水晶の発掘は明治10年
頃から盛んに行われるとともに、水晶業者は増えていき、
隆盛を極めることになる。
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4.「商い」の歴史 ← ↑ →
水晶商いの草分けは、深輪屋(後の玉泉堂)で、文政4
年(1822)に天然水晶を売ったと記録されている。
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5.産地形成 ← ↑ →
どんな好条件があっても、最後の決め手は人である。山
梨の地には苦労をいとわぬ働き者が多かった。
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6.甲府水晶業組合の設立 ← ↑ →
先の任意組織の2大組合、「甲府水晶篆刻同業組合」「甲
府水晶印伝袋物商組合」が雲散霧消した後、水晶業界は大
変な問題に直面することになる。それは、輸入水晶に対す
る関税が、大正12年までは2割課税だったのを、大正13年
1月を期して税率を一挙に10割に引き上げたのだ。
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7.水晶工業組合設立 ← ↑ →
昭和初頭日本の経済界は、2年に金融恐慌が起こり、銀
行の倒産も起こり、暗雲が立ちこめた時代である。
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8.商業組合設立 ← ↑ →
昭和6年の工業組合法の改正に続いて、7年には「商業
組合法」が施行された。当時山梨県の商業者は、深刻な不
況と産業組合の進出に悩まされ不振であったため、甲府
商工会議所が中心となり、商権擁護と商業の合理化をス
ローガンに掲げ商業組合の設置を指導推進した。その結
果、9年8月になって甲府一円の水晶、印伝、硯など特産
品の販売業者22名により、商業組合法に基づく「甲府物産
商業組合」が誕生した。
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9.戦争と振動子 ← ↑ →
昭和12年日華事変が始まって山梨の水晶は大打撃を蒙
った。15年のいわゆる「奢侈品禁止令」で水晶めのう製品
ははずされはしたが、様々な制約を受けることになって
しまった。止むを得ず、以前から若干は手がけていた、工
業部品の生産に全力投球をせねばならなくなった。即ち
水晶発振子、レンズ、絶縁体等の軍需研磨品の生産体制に
組込まれていった。甲府市立工業研究所水晶部の指導に
よって、昭和16年2月、山梨県地方統制工業組合(後に山
梨県海軍統制工業組合)を発足させ、軍需生産に励んだ。
明電舎甲府工場は陸軍軍需工場となり、その下請け協力
工場としても業者は働くことになった。太平洋戦争に突
入翌年の昭和17年「企業整備令」によって、商業関係の従
業員は、すべて動員され、軍需工場で働くか召集されて兵
士となるかで、商業界は壊滅状態となってしまった。
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10.敗戦直後の業界 ← ↑ →
装身具業界も急速に立ち上がった。
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11.戦後の組合編成 ← ↑ →
このような状況に水晶宝飾業界は、業界の復興と水晶
の世界市場への復帰を目指して、238名が集まり、昭和21
年4月自主的任意組合「山梨県水晶業組合」を結成した。 |
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12.水晶商工業協同組合の設立 ← ↑ 「商工協同組合法」が制定公布されると、水晶業組合 では、同法に基づき組合の改組を望む声が上がり、22年8 月の臨時総会で改組を決議した。しかし、一方では商工業
分離を唱える者も多かったので、商、工両部会において検 討した結果、まだ時期尚早だという結論を出し、商工分離 せず一本化で改組することになった。 |